《自由国境地帯》及び そこに暮らす住人についての考察
 

 キレノア大陸のほぼ中央に広がる一大文明圏――中原。
  そこには世界有数の人口と文化を持つ大国が幾つも存在し、中でもパロ・ゴーラ・ケイロニアの三大国家は、それぞれに古い伝統と強大な国力を誇る国家とし て、過去幾度となく互いにその領土や富を巡って争ってきた。そして、その長い戦乱の歴史の末に、いつしかこの三国の間にはこれらの領土紛争を未然に防がん がするための政治的空白地帯が設けられ、如何なる国家の主権も及ばぬように定められた。それ以来、この広大な――それこそ総て合わせれば中原三大国の総領 土面積をも上回るまでの――土地は、あらゆる国家からの干渉を受けぬ〈自由国境地帯〉と呼ばれるようになった。
 この緩衝地帯は、それが存在する理由と目的から中原三大国の間にそれぞれ数十から数百モータッドの、即ちこれらの間を行き来するためには最低でも幾度か はその街道上に点在する宿場町に泊まらざるを得ぬほどの〈幅〉を有しており、その街道からわずか半日ほど外れただけで、中原の文明国とされるパロ・ゴー ラ・ケイロニアのいずれの手も加えられぬ未開の領域〈辺境〉に足を踏み入れる事となる。勿論、大国の手が加えられてないからと言っても、この地域の全てが 未開だという訳ではない。実際、主要な街道や宿場町以外にも実に多くの集落や町、そしてそれらどうしを結ぶ小径や未舗装の道が無数に存在し、そこに多くの 狩猟民族や開拓民が住まっている事も確認されている。しかし、そうした枝葉とも言うべき道や集落の全貌は、実は主要国の先進的な情報機関ですら分かってい ないのが実情であり、国家や街道周辺の町村が編纂・発行する各種の地図――といってもこの時代のことゆえ精緻なものであるとは言い得ぬ代物に過ぎなかった が――には、主要街道とそれに付随する比較的よく知られた側道、集落はかろうじて記載されてはいたものの、そうした資料にまるで触れられる事の無い――外 部の人間にとってわざわざその詳細を調査し、記載する価値や必要性の全くないとしか思われぬ――道や集落も多く存在しているのだ。
 否――――いってみれば、この自由国境地帯においてその存在や所在地、現状が外的に知られているものは、全体から見れば氷山の一角に過ぎないといっても けして過言では無いのである。
 そこに住む人々は大国の干渉を一切受けないし、逆に、その恩恵を受ける事も出来ない。つまり国やその統治者に忠誠を誓ったり租税を納めたりする義務も無 い代わりに、その庇護をうける権利も有してはいないのである。そしてその大多数が、原始的といって良い狩猟生活や極めて小規模かつ前時代的な開拓農耕など でようよう成り立っているような、ほぼ自給自足による質素な暮らしをしているのである。勿論銀貨や銅貨といった貨幣も存在はしているし、主要街道やそれに 併設する村落では、それらの流通も進んでいるが、こうした比較的開かれた地域でなく、自由国境地帯の奥深くに点在しているような集落では未だに物々交換を 基盤とする経済活動が盛んに行われている。こうした状況はすっかり貨幣経済に慣れ親しんでいる開かれた地域の人々との文化的な断絶をもたらし、同じ自由国 境地帯に住まう民でありながら、〈未開の民〉〈蛮族〉として差別迫害の対象となる事すらもしばしばあった。
 そのせいか、この地域に定住する人々は概して外部の人間に対する実に強い警戒心を持ち、自分達の版図たる集落に外部の人間が立ち入る事を極度に嫌う。外 部の人間とは、多くの場合その集落の統制や平安を乱す脅威でしかなかったのである。
 それはまた、はじめは友好的に彼らの生活圏に近づき、その住民達の中で暮らし、すっかりうちとけたかに見えたかと思えば突然に態度を豹変させ、何処かに 潜んでいた仲間達を呼び寄せて村の全てを破壊し略奪の限りを尽くす・・・・・そんな『盗賊』と呼ばれる、半ば魔物のように恐れられているならず者どもの斥 候を警戒するため、またその盗賊どもの本拠地や隠れ家が彼らの生活圏と隣り合うこの自由国境地帯に点在しているせいでもあろう。食料の備蓄、目ぼしい家財 道具、貧しい暮らしの中でようやく手に入れられた家宝・・・・などでは空き足らず、わずかな貨幣の蓄えをまでをもすっかり奪い尽くし、残虐かつ屈折した己 らの邪まな欲望を満たさんがために老若男女の区別無く――とくに女子供は性的な欲望の捌け口にされた――切り刻み、愉悦に浸る悪党ども――その存在は、あ る意味で、伝説に謳われる悪魔のそれ以上に恐れらているのだ。
 実際こうした盗賊に村落を略奪されたという話はどんなに時代が代わろうと後を絶たぬし、それどころかこうした歴史の積み重ねによって倍増された現実的な 恐怖に対抗するため、この地域に点在する集落では他の地域ではまず見られぬほどの強い団結力と閉鎖的な気風がよく見受けられる。ただ、本来ならば自衛のた めのものであったそれらの性格は時代が下るに連れてより頑なで頑強なものとなっていき、現在では至って排他的なものへと変貌していった。彼らは狩猟のため だけではなく自衛のために刀剣や戦斧、弓矢を持ち、自分達の領土を侵犯するものに厳重な警告を与え、時には有無を言わさず排除・殺害に至る事さえ多々あっ た。
 彼らの大多数にとって村や庄などの集落は、ほとんど〈世界そのもの〉であり、生まれてから死ぬまでそこで暮らし続けるよう定められた〈封土〉なのであ る。近隣の村落や最寄の宿場や市に出かけるならばともかく――それすらですら生計をたてたり自集落の存続のための経済的・事業的な相互協力を行うという理 由や村の長あるいはそれ準ずる者の特別な許しが必要で、娯楽その他の安易な理由で出入り出来るものではなかった――、一度集落を離れてしまった者は二度と その境界線をまたぐ事は許されなかった。また、集落に著しい不利益をもたらした者や犯罪を犯したものにも同様の措置がとられたが、これは彼らにとっては何 よりも恐れるべき処罰となりえた。何故なら、先にも述べたように、これらのごく閉鎖的な集落で生まれ育った者にとって其処はほとんど〈世界そのもの〉であ るため、そこを逐われて生きていく事は極めて難しかったのである。迂闊に他の村落やその縄張りに足を踏み入れる事は非常に危険な行動であったし、かといっ て――それこそ南方の土着の原住民であるというのならばともかく――まがりなりにも最低限の衣服住の揃った生活文化を持つ民である彼らにとって、風雨にさ らされつつ猛獣やそれ以上に恐ろしい敵対的な同族から身を守るためにあちこちを徘徊し、野草や野の獣を採集して生きていく・・・などという事は心身ともに ほぼ不可能な所業であった。かといって、もっと文明的な土地に移りすむという事も生半可な事でなく、その場所を探し求める事自体が極めて困難であったし、 その土地の生活環境に馴染むという事は至難の事であった。それほどまでに、こうした辺境の集落と文明圏との生活格差というものは大きいものであり、結局は どの都市でも抱えている闇の部分ともいうべき貧民街や貧民窟に流れ着くのが関の山である。そこで待ち受けているのは、よりあからさまで非人道的な差別迫害 であるのは間違いなかった。村を追われた者には死ぬより恐ろしい運命が待ち構えているということは、何の比喩でも例えでもなく、冷然たる事実に過ぎなかっ たのである。
 こうした集落の閉鎖的性質は農耕を生活の基盤におく集落では特に顕著であったが、狩猟をよくする民であってさえも例外ではありえなかった。かつて狩場や 農耕地といった〈縄張り〉を巡っての集落どうしの血生臭い抗争が永きに渡って各地で繰り返された結果、やはり夫々の定住地とその縄張りを厳然と定め、その 間にどちらの集落にも属さぬ緩衝地帯が設けられたりした。大国どうしの緩衝地帯として設けられたこの〈自由国境地帯〉の中でも、さらに緩衝地帯が設けられ るという皮肉な現実が起きたわけである。集落、そして縄張り――――この二重の境界線によって、そこに暮らす人々は外界から隔絶される事となった。
 婚姻についても、他の集落との友好的な関係を結ぶ必要性があった時や、深刻な配偶者の不足が起きた場合を除いて、このムラの中で結ばれる事がほとんど で、その結果同族婚や近親婚が進み、集落の氏族化は進んだ。集落の構成員がわずか数家族しかない事も珍しくなく、時には一つの村に住まう人々が全て同じ一 族である事さえあった。基本的に同族婚や近親婚が一般的ではない中原の他の地域の人々にとって、こうした事が普通に行われているという事は非常に不健全か つ背徳的な事に思われたのであり、そのために外部の人々は彼らを「蛮人」と蔑み、その文化程度の低さを嘲笑った。こうした状況は、集落の連帯感や結束間、 同族意識を高める反面、外部との隔絶感、閉鎖的な性質をより一層高める事になったのである。
 この《自由国境地帯》の成立の過程で三大国の王侯貴族や有力者は勿論の事、庶民に至るまでいわゆる国家に忠誠に誓う全ての人々がこの地域から撤退・移転 していった際に、国家の忠誠を抱かぬ人々やその土地での暮らしに慣れ親しんだがゆえに移住を受け入れなかった人々も多く存在していた。つまり、基本的には この地に生きる人々は中原三大国に住まう人々と同じく、かつて中原全域に覇を唱えた巨大帝国カナンに属した諸民族の末裔なのであって、実際に中原三大国ど うしの合意に基づいてこの地域を完全中立地帯と定めるまでは、いずれかの国(或いはそれに従属する勢力)の民人だったのであり、この地域には、古い時代の 都市遺跡や墳墓がふんだんに残されている。この地方に暮らす人々が元々中原の他の地域に暮らす人々と文明レベルの大きな差を持つ、後進的な民族であった訳 ではない、という事もこの地方に生きる人々の性格をよりよく理解するにあたって考慮せねばならない重要な点であろう。言い換えれば、彼らは三大国家の覇権 争いの結果無理やり作られた完全中立地帯、国家が干渉してはならぬ地域に取り残され、そこで生きる事を余儀なくされた、戦乱の時代の孤児なのであった。た だの後進的文明、発展途上の未開な民族なのではなく、様々な要因から――本人達は、それは周辺の大国どうしの抗争による外的な理由がほとんどだと思ってい るが――衰退・退化していったと言うべき人々なのであった。その事実はいかに時代が下ろうと忘れ去られるものではなく、むしろその事に対する恨みは代々の 口伝によって増幅され、彼らの意識の中にはけして拭い去ることの出来ぬ周辺大国への被害者意識や大国主義への批判的精神が根づくこととなった。それは現在 の国際秩序に暮らしその恩恵を受けている”外部の人間たち”から長年に渡って受けてきた差別迫害に対する憎しみと結びついて、文明発達への批判精神と―― 何故なら、文明が発達すれば、人々の心は腐敗し、社会的弱者に対する差別を求める心が生まれるし、その文明で生まれる様々な利権を巡っての争いが起き る・・・・と彼らは硬く信じて疑わなかったからだ――、自然回帰・過去回帰の気風を育む事になった。
 彼らの暮らしは中原の他の所で生きる民に比べてひどく遅れた、質素なものに留まっているのだが、その一つの要因には彼ら自身のそういった意固地というべ き偏狭な性格にも由来しているのは確かであった。
 また、この自然回帰・過去回帰の風潮は、その生活風習のみならず、民族のアイデンティティの重要なファクターを為す思想・哲学、とりわけ宗教観において 非常に特異な成長を促す事にもなった。
 先述の通り、この《自由国境地帯》に暮らす住人のほとんどが三大国家の歴史的な対立・抗争と講和のプロセスにおいて置き去りにされた経済的・社会的に不 利な貧民、或いは他の地に移住する事をよしとしなかった庶民など、元を辿れば中原文明を代表する三国いずれかの国民であったわけで、その事はすなわち、 「原則的には」中原全域にあまねく普及しているヤヌス十二神教の教圏に含まれている事を意味している。
 とは言うものの、中原の人々によく認識されている通りヤヌス十二神教には様々な形式・宗派が存在しているのであり、当然、この地の住人達の信仰形体も、 元々はその何世代も前の血統的な「源流」によって多様性に富んでいたようである―――少なくとも「自由国境地帯成立の頃においてはそうであった」という事 は長年の調査研究の結果明らかになって来ている。
 しかし、自然回帰・過去回帰の思想の浸透と定着により、その信仰は他の地域でのそれとはだいぶ様子を異にするようになった。土着の、古の時代からの自然 崇拝、自然信仰と混合した独自の宗教が形成されたと言い換えても良い。それは、実に呪術的で秘密主義的な要素をもあわせもっており、「敬虔な」教団の主流 会派の信者や祭司たちからは時として異端、邪教崇拝と等しいものとして蔑まれた。そこではヤヌス十二神教には含まれなかったり、そのいずれかの神の眷属と して語られることになった、古来の精霊や神々が今なお篤く崇められており、ヤヌス教成立以前の神話の時代の名残をそこに色濃く見ることが出来るのである。
 このように表層的な部分から少し分け入っただけで、《自由国境地帯》は中原の真ん中にありながらも、そして同じ源流の血統を持った民族でありながらも、 その中原のそれとは全くといっていいほどに異なった文化・風習・宗教をもった人々の暮らす、文明世界の中の異境、という謎めいた様相を呈している。ナター ルやルード、ノスフェラスのような、人の支配の及ばぬ魔境、辺境に比べて、そこを通る――よくよく考えれば、それは実にか細く、心もとない根拠でしかな かったのだが――赤い街道や点在する街道宿、自由都市国家などの存在から、単なる政治的な空白地帯、無政府地帯としか思われていないが、その実情といえ ば、これらの世に名高い魔境、辺境と比べるところのなき危険極まりない土地であるのに他ならない。
 そして、この地域やそこで暮らす人々は様々なしがらみや掟、因習に縛られている。自由開拓民とは名ばかりで――はるか昔はその通りであったのかも知れな いが――、現実には本当に自由な草原の遊牧民や沿海州の船乗りと異なり、ある意味では、都市部のもっとも哀れな奴隷どもよりもずっと不自由で、がんじがら めな一生を送る運命に捕らわれているし、そうであることに対する鬱屈や不満、苛立ちはその遠因に他ならぬ周辺大国とそれに連なる人々にその捌け口を見出 す。一方で、中原の《文明人》達は、そうした人々を蛮人と蔑み、同じ人としての最低限の敬意を払う事もしないばかりか、それが存在することすら知らぬ事も 往々にしてある程であり、その事が彼らの反発をさらに強めるのであった。このように、両者の断絶と対立は、永の年月の間に果てしなく増幅され、もはや修正 することが不可能なレベルに達している。
 それは、まさに文明の最下層、人の手によって生み出された地の獄に他ならず、そこには人の世に氾濫する負の関係の縮図ともいうべき、人間の《闇の部分》 が凝縮している。
 《自由国境地帯》―――その地域の大部分を占める深い森は、大地だけでなく、様々な《闇》や後ろめたいような《秘密》をも覆い隠しているのだ――――。



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